ヨシナシゴトの捌け口

独り言の欠片をひたすら拾う。繋ぎ合わせもしない。

檻の中の安寧

 最近、ちょくちょく中学時代の友達に会う。懐かしい話が出ると、秋めく風も相まって何だか少し感傷的な心地になる。馬鹿やってた「あの頃」が少し遠くなった気がする。

 僕は地元の公立中学校に通ったけれど、あそこは高校や大学と比べるとちょっと野蛮な環境だったのかもしれない。それ以上でもそれ以下でもないし、別に貶しているわけでもない。「野生的」かと言われると、そうではないような気がする。どこか違う。どちらかと言えば対極にあったんじゃないだろうか。野生ではなく飼育。動物園といったところかもしれない。知らず知らず、檻の中に入れられていた。自分の周りには十人十色、様々な動物がいた。群れ騒ぐ猿、爪を隠した鷹、一声で雀をまとめる鶴、一匹狼、毛並みの綺麗な猫、飼育員に噛み付くゴリラ。賑やかで楽しかったけれども。

 

 檻はそんなに狭くはなかったし、息苦しいと感じたこともなかった。けれども、居心地悪そうにしているやつも一定数いて、中には飼育員を目の敵にする者もいた。それでも、彼らはそれが仕事だから、そいつらを見放したりすることは決してなかった。

 

 一方で、高校での3年間は、動物園ほど騒がしいことはなかった。あそこはいわば保護区のような場所だった。檻は消えていた。その代わり遠くの方に一応とばかりに柵があった。解き放たれて不安はあったけれども、身の危険を感じることは全くなかった。少し離れたの木の陰から、いつも双眼鏡を手に見守ってくれている人達がいた。餌を与えられることはなくなったものの、行動できる範囲が一気に広がったし、何かあれば彼らは手を差し伸べてくれた。

 

 大学はどうだろう。ここは楽園だ。「自由」を謳っている。だからもちろん、柵も、あの見守ってくれていた人影も、もうどこにも見えなくなった。背後には辛うじてまだ親の存在があるけれども、それももうあと数年の話だ。今、少しずつ、大きな世界に足を踏み入れようとしている。「野生」が始まる。

 

 囲いのない野生の世界は、すなわち弱肉強食の世界である。そこには、数多くの危険が伴う。自己の生命は自分で守らなければならない。その中で食糧を己で調達し、配偶者を見つけ、子を守り、そして常に変わりゆく環境に適応せねばならない。周期的に、厳しい冬や渇いた夏もやってくる。自由と引き換えに、危険な世界が待っている。天国は、地獄と紙一重である。

 

 今になってようやく気づかされた。檻や柵は、自分達を逃げ出さないように縛るためのものではなく、むしろ自分達を外の世界から守るためにあったのだ、と。

 

行儀よくまじめなんて クソくらえと思った
夜の校舎 窓ガラス壊してまわった

逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった

                                         ー 尾崎豊/卒業 より

 囲いの中の動物のうちには、"この支配からの卒業"を引っ提げ、自由を求めて檻をぶち壊そうとするものもいる。数年待てばいいものを。自由にはそれ相応の対価が発生する。自由とは、(特に血気盛んな若い者にとっては)非常に危険なものである。

 

 檻や柵を作ることは、支配というより愛に似ているような気がする(愛が一方向に行き過ぎると支配になると思っている)。しかし血気盛んな若者は、愛に気付かない。だから孤独を感じてしまう。目の前の格子にしか焦点があっていないから、外の世界が虹色にボヤけている。檻を破って喜ぶのも束の間、はたと彼らは気付くだろう。自由の恐ろしさに。あるいはそれまでに強者に喰われるか。

 何だか、憲法9条を盾に、血を交えることをも辞さない勢いで自由民主主義を求める人々と構図がよく似ている。彼らは安保を睨みつけているから、平和という虹色の未来が見える。だが、防衛とは、支配ではなく、ある一線を超えない限り「愛」なんじゃないか?支配を危惧して愛までも手放すと言うのか?(但しここでは檻は時間経過とともに消滅することはないが。)まぁいいや、話を戻そう。

 

 檻を作れば、自由の範囲は多少制限されてしまうものの、檻の中に極めて安全な地帯を作ることができる。雲には届かないかもしれないけれど、奈落の谷は塞がれている。動物達は、檻の中のことだけを考えて生きていればいい。そこならいくらヘマをしても許される。檻の中で成長すればいい。ただ、いつまでも井の中にいてはいけない。じきに、檻も柵も消えてしまう。世界に一歩踏み出すことを迫られる時期が、いずれ訪れる。勉強だろうが、部活だろうが、恋愛だろうが、所詮、「あの頃」の懐かしい話というのは、囲いの中の小さな世界の出来事に過ぎなかった。

 

ふと、高校時代の恩師の言葉が浮かんだ。

「狭い世界にとどまるな。早く社会に出ろ、荒波に揉まれろ。」

 檻の中は、航海への準備期間である。早まると、積み忘れが起こる。未熟な船は、荒波に難破することだろう。青い蛙は、大海など知るよしもない。

徒然なるままに

 自分の周りの複数人がやってる面白そうな事って気になってやってみたくなるじゃないですか。それです。ブログをはじめてみようと思ったきっかけは。それから、自分の内向的思考にとっての捌け口を作りたいという思いもありました。淀みに淀んだ、たわいもない思考の数々。それを、文字に起こすという形で捌けさせて、どこかへ流してみたかった。それだけ。

 

 高3のとき、クラスで日誌とは別に、「徒然帳」なるものが存在しました。クラスのこと、自分のこと、何でも書いていい(但し他人を侮辱してはならない)ノート。自分にとっては新鮮なものでした。1日ずつ名簿順でまわってきて、ルーズリーフに、文字通り徒然なるままに由無しごとを書きつくる。担任の先生はそれに対して(粋な)コメントを添えてくれました。そして、コピーされた各々のページが、教室の後ろのあまり目立たないところに重ねて貼られていきました。文化祭への意気込み、大好きなペットの話、深夜テンションで訳の分からない恋愛相談、受験の悩み、クラスへの思い等々...

 

 僕にとっては、それを読むことも書くことも、次第に密かな楽しみとなっていきました。読むときは、放課後にひとりでこっそりまとめて読むんです。一字一句、その人の声で再生されるんだけど、何だかいつもの話し口調と違う。どいういわけか、各人の心の中から噴き出してくるエネルギーみたいなものを感じました。

 

 話し言葉と書き言葉は文体が違うと言われるけれども、僕は会話と文章は根本的に異質だと思っています。話すことしかできない言葉、書くことしかできない言葉、の双方があると考えています。あの頃の僕は、"話せないけれども書くことならできる"ような、自分が知りもしなかった他人の想いを目にするのが好きでした。それと同時に、日常で話すことのできない自分の考えを、書くことを通じて誰かに発信することで得られる、ある種の充足感も好きでした。書くことでしか放出できない想いとか考えってやっぱりありますよね。

 

 「書くこと」のもうひとつの魅力は、じっくり推敲できることだと思います。後から付け足したり省いたり、語感を整えたり緩急をつけてみたり。機械を組み立てていくような、音楽作品を作り上げていくような不思議な感覚が好きです。両方やったことないですが。

 

    やっぱり僕は、あの頃のように腰を据えて「書く」という行為がしたくなった。

 

 大学に入って、国語と呼べる授業がなくなって少し嬉しい反面、自分の考えを文字に起こして推敲し、そして発信するという機会を失い、寂しかったというのもあるかもしれません。何だろう、タイムラインではいくら書いても流しきれずに淀んでしまう何かがある。その一方で、ある一瞬の想いは泡沫のように次から次へと"心にうつろいゆく"ような気がするんです。それこそ "淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし"  と、かつて言われたように。だから、日常のヨシナシゴトが心の中に見えない形で溜まって淀んで濁っていく前に、そして浮かんだ思考のウタカタが儚く消えゆくその前に、少しずつこの場で捌けさせていこうと思ったんです。独り言みたいな感じで。その結果あわよくば、誰かの心に久しくとどまればいいなと。そうしてこのタイトルになりました。いつまで続くか分かりませんが、お付き合いいただけると幸いです。

 これからどうぞよろしくお願いします。