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ヨシナシゴトの捌け口

独り言の欠片をひたすら拾う。繋ぎ合わせもしない。

徒然なるままに

 自分の周りの複数人がやってる面白そうな事って気になってやってみたくなるじゃないですか。それです。ブログをはじめてみようと思ったきっかけは。それから、自分の内向的思考にとっての捌け口を作りたいという思いもありました。淀みに淀んだ、たわいもない思考の数々。それを、文字に起こすという形で捌けさせて、どこかへ流してみたかった。それだけ。

 

 高3のとき、クラスで日誌とは別に、「徒然帳」なるものが存在しました。クラスのこと、自分のこと、何でも書いていい(但し他人を侮辱してはならない)ノート。自分にとっては新鮮なものでした。1日ずつ名簿順でまわってきて、ルーズリーフに、文字通り徒然なるままに由無しごとを書きつくる。担任の先生はそれに対して(粋な)コメントを添えてくれました。そして、コピーされた各々のページが、教室の後ろのあまり目立たないところに重ねて貼られていきました。文化祭への意気込み、大好きなペットの話、深夜テンションで訳の分からない恋愛相談、受験の悩み、クラスへの思い等々...

 

 僕にとっては、それを読むことも書くことも、次第に密かな楽しみとなっていきました。読むときは、放課後にひとりでこっそりまとめて読むんです。一字一句、その人の声で再生されるんだけど、何だかいつもの話し口調と違う。どいういわけか、各人の心の中から噴き出してくるエネルギーみたいなものを感じました。

 

 話し言葉と書き言葉は文体が違うと言われるけれども、僕は会話と文章は根本的に異質だと思っています。話すことしかできない言葉、書くことしかできない言葉、の双方があると考えています。あの頃の僕は、"話せないけれども書くことならできる"ような、自分が知りもしなかった他人の想いを目にするのが好きでした。それと同時に、日常で話すことのできない自分の考えを、書くことを通じて誰かに発信することで得られる、ある種の充足感も好きでした。書くことでしか放出できない想いとか考えってやっぱりありますよね。

 

 「書くこと」のもうひとつの魅力は、じっくり推敲できることだと思います。後から付け足したり省いたり、語感を整えたり緩急をつけてみたり。機械を組み立てていくような、音楽作品を作り上げていくような不思議な感覚が好きです。両方やったことないですが。

 

    やっぱり僕は、あの頃のように腰を据えて「書く」という行為がしたくなった。

 

 大学に入って、国語と呼べる授業がなくなって少し嬉しい反面、自分の考えを文字に起こして推敲し、そして発信するという機会を失い、寂しかったというのもあるかもしれません。何だろう、タイムラインではいくら書いても流しきれずに淀んでしまう何かがある。その一方で、ある一瞬の想いは泡沫のように次から次へと"心にうつろいゆく"ような気がするんです。それこそ "淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし"  と、かつて言われたように。だから、日常のヨシナシゴトが心の中に見えない形で溜まって淀んで濁っていく前に、そして浮かんだ思考のウタカタが儚く消えゆくその前に、少しずつこの場で捌けさせていこうと思ったんです。独り言みたいな感じで。その結果あわよくば、誰かの心に久しくとどまればいいなと。そうしてこのタイトルになりました。いつまで続くか分かりませんが、お付き合いいただけると幸いです。

 これからどうぞよろしくお願いします。