ヨシナシゴトの捌け口

独り言の欠片をひたすら拾う。繋ぎ合わせもしない。

3.12

 

 鋭く尖っていた風が柔らかくなった。刺すような冷たさが包み込むような暖かさに変わった。霞みがかった薄青の陽気には、生命を躍動させる力がある。両手を広げて道の真ん中で寝そべってやりたい。

 

 癌が見つかったのは昨年の初冬だった。また冬が嫌いになってしまった。小さい頃は白銀に輝いていたものが、今となってはどうも光沢のない灰白色にしか映らない。もう風の子ではなくなったのだろうか。

 

 

 夏の終わりが郷愁だとすれば、冬の終わりは希望に等しい。春が待ち遠しくて待ち遠しくて、だからついに訪れたこの暖かさにずっと守られていたい気がする。

 

 張り詰めた空気がようやく弛緩したのは、去年も同じだった。先日高校に行ったとき、合格報告に来た生徒が先生と抱き合って泣いているのを見て、少し懐かしく感じた。青春。極度の緊張が一気に解放されると、人間泣いてしまうようだ。

 

 あのとき大学に受かっていなかったら、今年も受けられなかっただろうなぁ、なんて思う。

 

 職員室に行って元担任の先生とひとしきり話をしたあと、僕の大好きだった国語の先生にもお会いした。

 

 治療や手術について話をした。先生は黙って聞いたあと、何かを話し始めた。先生の話は含蓄があって高校生の頃からずっと好きで、だからその口からどんな言葉が出てくるのか楽しみだった。にもかかわらず「何か」と書いたのは、最初の方の言葉を後から来た言葉が掻っ攫っていったからである。

 

ふと、先生はこう呟いたのだった。あまりにも唐突だった。

 

「私は明日死ぬかもしれない。」 

 

 唐突、というのは語弊があるかもしれない。僕はその前後の話を右から左に聞いていたつもりはなくて、その一言のインパクトが大きすぎたのか、もしかすると両方なのかもしれないが、とにかくその一言が耳にこびりついた。

 

「誰だってそうじゃないですか、極論を言うとね。だからいつ死んでもいいと思って生きてる。」

 

 

 明日死ぬかもしれないと感じて生きている人間がこの世にどれくらいいるだろうか。

 

 

 2万人近い人々が今日を迎えられなかったあの出来事から、ちょうど6年が経った。明日が来ることを信じて疑わなかった2万の命が失われた。2万。20000。あの日、人の背丈を優に超える津波から逃げる人々の姿を、僕はテレビの中の出来事として捉えるので精一杯だった。

 

 

 

 自分は19年間、明日という日が来ることを無意識に信じて疑わなかったし、今日が来たことを確認さえもしなかった。そして事実、19年間ずっと今日という日が訪れ続けた。だから明日が来ないかもしれないということは、そして今日が来なかったかもしれないということは、もはや文字の上でさえ理解することができない。リアリティの欠片もない。

 

 

 

 人生とは皮肉なもので、失ってからしか理解することのできない尊さが数多くある。自分にはやはり家族がいて、父も母も弟も、また明日同じように食卓を囲む。あるいは友人がいて、先輩や後輩がいて、たとえそれが遠く離れていたとしても、また会う日を信じて疑いはしない。小中高の先生でも、親族や近所の人であってもそう。

 

 

 しかしそれは単なる妄想にすぎない。吹けば飛ぶような幻。万人に等しく明日が訪れることは決してない。

 

 

 「私は明日死ぬかもしれない。」

 

 

 あれは戦慄でも畏怖でも何でもなかった。口で言うのは容易いけれど、でもあの先生は普段からそういう風に生きておられるのだろう。自分もそういう生き方がしたい。

 

 

 

 大抵の人は、死にたくない時に死ぬ。あの日亡くなった2万人のうち、死にたくなかった人はどれだけいたのだろう。当たり前の日常なんて幻でしかない。

 

 

 いつ死んでもいいなんて境地には、自分はおそらく立つことはできない。けれども、今日できることを今日やって、当たり前でない「当たり前」にひとつでも多く気づくことくらいなら出来そうな気がする。失ってから気付かされるような人生は御免だ。

 

 

明日が来なかったとして、後悔するような今日を過ごしたくはない。

今日が最後になるかもしれないとして、それでいいのかと問い続けていたい。

 

 

 

 今朝、起きるといつも通り今日が来ていた。当たり前ではない "いつも通り"。

 外に出てみると少し肌寒かったけれど、冬ではなく間違いなく春だった。春の匂いがしていた。ふと、肺を切ると言われたのを思い出して、この空気を今のうちに胸いっぱい吸い込んでおかなければいけない気がした。それさえも当たり前ではなくなるから。手術まであと9日しかない。手を伸ばして大きく深呼吸をすると、春の空は青く青く澄んでいた。今日が訪れたことに感謝しよう、そして春が訪れたことにも感謝しよう、そう思った。

 

あの日、今日が来なかった人のためにも。