ヨシナシゴトの捌け口

独り言の欠片をひたすら拾う。繋ぎ合わせもしない。

残された者たちへ

 

 

 

今年も高野川が薄紅に色付く。時折強い風に吹かれて桜吹雪が舞う。美しい、しかし人々はさもそれが当然であるかのように通り過ぎてゆく。見えているのだ、しかし見てはいない。マツダRX-8のロータリー・エンジンは不満げなアイドリングで低い回転数を維持しながら、やや混雑しはじめた川端通りをそろりそろりと北へ進んでいた。水彩絵具に水をたっぷり含ませたであろう空が彼方まで広がっていて、それはウイニング・ブルーの車体より幾分控えめでもあった。

 

 

 

昼下がりのラジオはDJが張り切ることもなく聴きやすいからだろうか、あるいは僕が昼食をちゃんと取ったからだろうか、それともカー・エアコンの温度設定が適切だからなのだろうか。いずれにせよ、とても心地良い。春という季節を今日この瞬間まで忘れていたのは僕の方だった。ボーズの純正オーディオを通して1994年の夏、オアシスのリヴ・フォーエヴァーが流れてくる。音楽というものはいつもそうだ。言葉にすることの出来ぬ想いを、あるいは僕の人生を、まるで全て見通したかのように響く。あるときは脳に、あるときは五臓六腑に。「貴方はここが痒いんでしょ掻いてあげますよ」と言わんばかりに、しかし図々しくも仰々しくもなく代弁してくれる。そういう言語である。

 

 

 

Maybe you’re the same as me

We see things they’ll never see

You and I  are gonna live forever

 

(多分アンタも俺と同じだ

奴らには見えない物を見てんだ

そして俺達は永遠に生きるんだ)

 

 

 

オッチャンを思い出す。僕は左手をハンドルから離して僅かにボリュームを上げる。

 

俺もアンタも永遠に生きるんだ、きっと。

オアシスは確かにそう歌っているし、僕の過去もアンタの過去も全て知っている。音楽は解釈の言語なのだ。

 

 

 

そして、そのポップなメロディは僕の切実な感情を、まるで技術士がデジタルノギスできちんと測定したかのように寸分の狂いもなく極めて正確に描写し、それゆえ僕を激しい後悔へといざなうのである。

 

 

せめてもの償いに、オッチャンの話をしよう。

昨夏病棟で出会った、車椅子のオッチャンの話である。

 

 

*****

 

 

彼は類稀に見るお喋りなオッチャンだった。もちろん重症患者である。しかしある場合には、忙しなく働く看護師さんにとって疎うべきお喋り患者でもあった。一般に気さくとみなされる範疇を両足で跨いで寄ってくる人間であり、親近感の生まれる程よい距離とは言いがたいまでに随分と内側に入ってくきては、罪悪感のない様子で屈託無く微笑んだ。そしてこれは特筆すべきことだが、彼は誰に対しても敬語を使ったのである。もちろん30歳以上年下の僕に対してもそうであったし、物理的にはもっともっと低くあった。なぜなら彼は車椅子から立つことが出来なかったからだ。

 

 

 

 

 

「勉強ですか?」

 

血液内科の病棟の食堂で声をかけてきたのは彼の方だった。ある夏の日のことである。僕は面喰らった。集中して机に向かう面識の無い人間に後ろから話しかける、そんな芸ができる人などそういないからである。仮にいたとしよう、それが常識を兼ね備えた人間であることは微塵も期待できない。この人間は僕の勉強の邪魔をしてまでも僕のことを知りたいのだろうか、それともただ構ってほしいのだけなのだろうか、そんな疑問も彼の微笑みの前では無力であった。僕は仕方なく操り人形みたいにぎこちない相槌を打ち続けた。それが出会いである。

 

 

 

冷たい人間だと思う人もいるだろう、いや僕だって普段は他人にそんな態度を取らない。とはいえその当時はレポートを数十枚書き上げなければならなかったし、期末試験も3つ残していた。とてもじゃないが相手にする余裕はなかったのだ。申し訳ないと思う。話半分に聴きながら僕はずっと机の方を向いていた。彼は口を開くと1時間は閉じなかった。

 

 

そういうわけで第一印象はあまりよくなかった。この場合は逆についても同じことが言えるだろう、つまり彼にとっての僕の印象も悪かったはずだ(もはや確かめようもないが)。

 

 

 

僕とオッチャンが打ち解けるまでには、数週間かかった。

どうして打ち解けたのかはよくわからない。彼は確かにお喋りだったし、彼にとってみれば僕は無口であった。まるでN極とS極が相容れることのないように、反発し合う磁界の関係にあった。

 

 

 

ただマクロではそうであっても、ミクロではお互い何かに惹かれていた。どういうわけか、これは確信を持って言えることなのである。電磁気力が「強い力」の前ではほとんど無視されるように、僕らの間には孤独と呼ばれるグルーオンが存在し、電気的な斥力をものともしなかったのだ。少なくとも僕はそう解釈することにしている。孤独を埋め合わせるためには、同じ種類の孤独が必要なのだ、と。

 

 

 

 病を共に生きようとする人間の間にしか生まれない絆の類のものが、そうして緩やかに存在しはじめた。オッチャンはよく僕の病室に来て居座った。そして8月も終わろうとする頃には、僕とオッチャンは同じ病室になり、1日の多くを共に過ごすようになっていた。とはいえ、やはり饒舌な彼の前に為すすべはなく、僕はいつも聞き手に回ったのだった。

 

 

 

 

 

薬剤の影響であろう、髪はもう生えそうになかった。白いスキンヘッドは眼鏡を際立たせ、彼のキャラクターをより一層濃いものにしていた。ありとあらゆる話を、半ば自己に言い聞かせるようにして話してくれた。生い立ちのこと、病のこと、家庭のこと。やはりそのどれもが長いものだった。冗長と言えば失礼かもしれないが、事実よく脱線したし、それは自他共に認めていた。卒業式か何かでスピーチをさせたら5人は死人を出すだろう。もう少し纏めて話すことが出来たのかもしれない。しかしながら、それが彼なりの語り方であり、彼が愛される所以でもあった。「いつも長々とお相手していただいてすみませんね、こんな人ですから」。奥さんはいつもそう微笑んだ。

 

 

 

 

多くの病を抱え、多くの介助を必要とした。それら全てが彼を苦しめていた。悔しいかな、その点ばかりは分かち合えなかった。「もうしんどいんですわ」、彼はよく僕にそう漏らしたのである。そして本当にしんどい日はやはり無口であった。立て板を流れる水は細り、ポツリポツリと哀しげに溢れた。

 

 

 

「京大生ですか、それは素晴らしいですね」、彼はいつも僕のことをそうやって褒めてくれた。透き通った眼差しであったことが僕は嬉しかった。毎度のように持ち上げてくれるので、もしや認知症ではないかと疑ったこともあった(しかしそんなことは微塵もなかった、なぜなら彼は僕が話したことをまるで目を盗んでノートブックに書き入れているのかと思うほどに、事細かに記憶していたのだ)。

 

 

 

 京大の総長カレーを買ってきてください、レトルトのやつを、そんな頼みをされたこともあった。勿論僕は快く引き受けた。クリーン管理された人間にとって、レトルト食品と冷凍食品はご馳走なのである。その当時僕は大学と病院を往復する生活をしていた。生協に行ってお徳用5個パックをレジに置くと、店員は僕のことを物珍しそうな顔で見つめた。買って帰るとオッチャンはとても上機嫌だった。奥さんに見せびらかしていた。

 

 

 

 

マツダの車について語り合った夜もあった。その頃僕たちはまるで兄弟みたいになっていた。往年のロータリー・エンジンの咆哮の美しさ(それは「天使の絶叫」と呼ばれている)について、意見が一致した。それから最近のデザインコンセプトについても称えあった。僕は彼と同じぐらい多く話したし、それを彼はとても喜んでくれていたと思う。マツダ・ロードスターの話なんか食い入るように聞いてくれた。というのも彼は身体障害者であって、車椅子を助手席に乗せ、かつ手のみで脚を使わず運転できる、そんなオープン・スポーツカーのことを知って感動していたのだ。車両価格に30万円ほど足すだけでいいらしいですよ、と勧めると車椅子から転げ落ちそうになっていた。買いますわ買いますわと微笑んでいた。

 

 

 

 


ところが10月に入り、オッチャンは突然喋らなくなった。そのとき僕は移植のために特別な個室に移っていて、1日のうち数時間ばかり廊下に出ることを許され、オッチャンを探した。しかしオッチャンは廊下で看護師さんに話しかけてもいなかったし、食堂で他の患者さんと話し込んでいるようなこともなかった。たまに車椅子で検査に向かう様子を見かけたが、彼に声をかけても手を挙げるばかりであった。

 

 

 

11月、僕は退院した。

オッチャンの姿はどこかの病室へ消えて、もう姿を見ることはなかった。

もちろん、僕にもそういう時期はあったし、体調が悪くて病室から出られないというのは、どの患者にもよくあることだった。

 

 

そうして長い冬が訪れた。

春はいつまでも息を潜めているのだった。

 

 

 

*****

 

 

 

T氏と会ったのは3月の末、病院近くのからふね屋である。T氏も同じ病棟で過ごした患者仲間だ。オッチャンよりは少し年上で、身長は僕よりずっと高い。患者仲間とはよくご飯に行くのだ、そこでは大抵奢られることになる。(だから行くなんてことはない、僕にはそこでしか話せない想いがあるのだ。)T氏と僕とオッチャンの3人は仲が良く、入院当時いつも一緒に過ごしていた。阪神が負けるとみんな機嫌が悪かった。

 

 

 その日は僕もT氏も診察があった。会計を終えてから、一緒に昼食を取ろうということになっていたのだ。僕はどう考えてもブロッコリーが蛇足としか思えないカルボナーラをぐるぐると巻きながら彼の話を聞き、適当なところで相槌を打った。最近どう、まぁぼちぼちです、えらい黒いやんどうしたん、これは元からです。

 

 

「あぁ、そうだ」

 

まるでたった今思い出したかのような口調であったが、そうではないことを僕は瞬時に見抜いた。T氏は僕のカルボナーラを見つめながら、それをいつ言い出そうか迷っていたらしかった。

 

 

 

「オッチャン、死んだよ」

 

 

彼はそう言うとタレのこびり付いたカツを摘み、僕の顔を見て、食べるのをやめた。僕はそれほど哀しい顔をしていたようだった。

 

 

 「すまんな、言わん方が良かったな」

箸を置いてから彼は絞るように呟いた。

僕は首を振った。

「いや、教えてくださってありがとうございます。知らない方が楽ですが知っておくべきです」

 

お互い、言葉はそれ以上続かなかった。昼下がりのテーブルの上は重たい沈黙で曇っていた。

 

 

 やがて沈黙の雲から雨が降り始めた。どうしても堪えられなかった。知らない方が良かったのかもしれない。もう二度と勉強の邪魔をされることもないし、もう二度とロータリー・エンジンについて語ることもできない。最下位の阪神にヤジを飛ばし合うこともない。

 

 

死んだんだから。

 

 次々と蘇ってきた記憶を振り払おうとして、僕は冷めてしまったカルボナーラをひたすら巻き続けた。

 

 

 

 同じ病を持ち、同じ時間を共有した。

 僕達は健常者には決して見えない世界を見ていたし、その世界を生きていた。僕達の中だけでしか通じない言語があった。

 

 戦友を失った。

 

 

 

「生き残ったんだよ、俺たちはさ」

長い沈黙のあと、T氏はおもむろにそう呟いた。

「残された者には残された者の責任がある、とにかく生きることだよ」

 

 

僕は溢れてくる涙を落とさないようにしながらブロッコリーを纏めて口に押し込んだ。

 

 

 

 そう、これは死ぬ病だ。いくつもの尊い命が犠牲になってきた病だ。僕達はそれを生き抜けねばならない。生き延びねばならない。 

 

 

リヴ・フォーエヴァー。

決して叶わないのだ。

それでも叫ぶ、生きたい、生きたい、生きたい...

 

 

*****

 

 

信号が赤に変わる。

 

停止線を少し越え、マツダRX-8はゆっくりと停まる。窓を開けると春の匂いがする。高野川はゆらゆらと流れる。

 

残されてしまったのだ。

そしていつの日か、僕もまた誰かを、大切な誰かを残して去ってしまうのだ。

 

カウント・ダウンはもう始まっているし、止められそうもない。

 

 それでも、鼓動の続く限り。

“残された者には残された者の責任がある、とにかく生きることだよ”

 

 

CMが始まったラジオを切って、僕はシフト・レバーをニュートラルに押し込む。それからアクセルを2度3度、力任せに思い切り煽った。

 

 とんでもないエキゾースト・ノートだ。

 

 迷惑だろうか、いや少しくらい構わないだろう。遠慮すればオッチャンの空まで届かないのだ。五月蠅いくらいが丁度いい。ロータリー・エンジンはレブリミット寸前でようやく機嫌を取り戻し、高らかな咆哮を高野川に響かせる。叫んでいる、天使が叫んでいるのだ。まるで残された者たちの哀しみを代弁するかのように。

 

 

 余韻は彼方へ木霊し、風に散る桜はひらりひらりと舞っていた。街行く人はみんな彼が居なくなったことを知らない。もちろん春が知る由もない。