ヨシナシゴトの捌け口

独り言の欠片をひたすら拾う。繋ぎ合わせもしない。

二度と戻らぬあの日と、あの日の君に捧ぐ

 

 君は遅れてやって来た。

 

 社用車のトヨタ・アクアを実にスムーズなバックで壁ギリギリに停めると、「ごめんな、仕事が」と謝った。それから君は「懐かしいな」と呟いた。「いらっしゃい、みんなもう書き終わったで」、僕はそう言って庭先の門扉を開け、彼を我が家に招き入れた。「二階上がって」

 

 ようやく幼馴染の5人が揃った。昔は毎日嫌という程遊んだけれど、こうやって集まることも最近は滅多にない。二階に上がって自分の部屋に戻ると、僕が棚の隅に隠している卒業アルバムを誰かが勝手に引っ張り出し、先に来た3人で寄って集って見ているところだった。10年前の僕達が映っていた。少しずつ別の道を歩み始めた僕達は、もうとっくの昔に成人して、名実共に本当に大人になってしまった。それでもこうして昔と同じように笑い合えるのが嬉しかった。

 

 「ここにメッセージ書いて」

僕は君にそう言って二つ折りのカラフルな色紙と、そこに貼るメッセージ用のシールを渡した。

「すげぇ、これは絶対あいつ喜ぶわ」

 君はとても楽しそうだった。幼馴染が結婚するというのは、僕達にとって初めてのことだったし、先を越された悔しさも少しはあったけれど、そんなものどうでもよくなるくらい嬉しかった。

 

「まじであいつがいちばんに結婚するとはなぁ、意味わからんやろ、あんな雑な女が」

 君はおそらくこの5人の中では彼女をいちばん近くで見てきただろうし、きっといちばん驚いたに違いない。

 

 

 “結婚おめでとう!

俺の方が絶対早い思ってたのに負けたわ(笑)

東京に行っても私たちの事は忘れないでください(泣)"

 

 君は茶目っ気たっぷりにそう書くと、いつものようにニヤニヤと笑った。ホストみたいな髪型で、良く言えばイケメン、悪く言えば遊び人のようなルックスをしているが、根はめちゃくちゃ良い奴だ。もう15年の付き合いになる。

 

 

 ほどなくして母親が帰ってきた。パン屋に行ったついでに、美味しいプリンを買ってきてくれたらしい。

「ケーキの方が良かったかなと思ったんやけど、一人ひとつずつこっちの方がいいかなって」

「ケーキはやりすぎや」

 

僕は箱を抱えて二階に持って上がり、それをみんなで食べた。

昔話に花が咲いた。

 

 

君との出会いは小1だった。

クラスが同じだった。

君は当時からイケメンで、クラスの人気者だった。サッカーが上手かった。

 

 君との想い出を数えるのには無理がある。数百か数千か、勿論数え切れるのだろうけど、それまでに僕は苦しくなってしまうと思う。

 

 楽しい日々だったから。

 

 放課後よく一緒に遊んだ。ドロジュンとかキックベースが流行の最先端だった。君はとても運動神経が良かった。二物を与えられていた。

 

 週末になると、自転車で走り回った。10年前、この地域はまだ田んぼばかりだった。神社を走り回ったり、怖い人の家にボールを入れたりして一緒に怒られた。

 

 君はいつもカッコツケだった。髪の毛を触られることは絶対に許せない人だった。そのくせシャイだった。人見知りで、よく声が小さくなった。恥ずかしさを隠すようにいつも君はニヤニヤと笑った。

 

 

 ほどなくして僕達は一度解散し、夜の結婚式に向けて着替えることにした。正確に言えば結婚式の二次会だ。

「21でハワイで挙式して京都で二次会とか何者やねんあいつ」

 君はニヤニヤ呟いた。

 僕達はこの意見で一致していた。

 

 

 夜、僕達は再び集合し、地下鉄に乗って会場へ向かった。

 君以外の4人は全員待ち合わせに遅刻して、結局君を30分も駅で待たせてしまった。

 それでも君は怒りさえせず、ニヤニヤしながら「おい〜」と言うだけだった。

 

 

 結婚式の二次会は素晴らしかった。結婚した彼女も僕達と幼馴染で、サプライズのメッセージをとても喜んでくれた。

 

 みんなで写真を撮った。何枚も、何枚も。

 夜が更けるまで楽しんだ。

 

 

 君は一通り楽しんで疲れたのか、外で一服していた。僕は君のところへ行った。

 「この後みんなで飯食いに行こうや」

 君は煙草をふかしながらそう言った。

「確かに、ちょっと足らへんかったよな」

「どこ行く? ラーメン?」

「すがりはどう? もしくはたか松」

「すがり、もう営業時間終わるわ」

「じゃあたか松にしよ」

 

 結婚ホヤホヤの彼女はこのあとも用事があるそうで、彼女抜きで僕達幼馴染は、ほろ酔いのまま雨の四条通りを歩いた。たか松でつけ麺を頼み、秒で平らげ、それからカラオケに行った。今思い返せば、それも君の提案だった。君の歌はやはり上手かった。僕の知らないV系バンドの曲だったけれど、好きになりそうだった。

 

 

 また会おうと約束し、僕ともう一人は明日の朝が早いからと先に帰った。また入院することになると告げると、君は「大丈夫や」と言ってくれた。

 

「退院したら、夏みんなで会おう」。

 

 

 

2019年3月30日。

結局、それが君と最後に会った日になった。

もしそれが最後になるのなら、僕は先に帰るどころか彼を引き止めて離さなかったし、カラオケの延長料金を全額負担しただろうし、夜が明けるまで何時間も話し込んでいただろう。あるいはそのまま、もう飲酒運転なんか構わずドライブに行ったかもしれない。遠く遠く、ずっと遠くまで。

 

 

しかしそれが最後だなんて誰も教えてくれなかったのだ。

 

 

 

誰も。

本当に、誰も。

 

 

 

*****

 

 

 5月6日、GWの最終日は夕方から大雨が降った。季節外れの豪雨だった。

 僕は幼馴染の1人と一緒にいた。

室内でMacBookの画面を睨みながら作業をしていると、左端のバナーにLINEの通知が見えた。

 別の幼馴染からだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

君の訃報だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

背後から刺されたような電撃が脳天を撃った。

豪雨は窓を叩き続けた。

 

僕は部屋で他の作業をしていた幼馴染を呼び、何を話せば良いか分からず画面を見せた。

「なんで...」

そう呟いて、彼は項垂れた。

 

 僕はMacBookを静かに閉じた。

 強い雨の音だけが室内に響いていた。

 

 

 死んだ?

 

 あいつが?

 

 

 

 理解しようにも、脳は上の空で空転するばかりだった。

 それがドッキリか何かでないのならば、説明のしようがなかったのだ。

 

 スマホにメッセージが届く。

 通夜と告別式の場所、そして日時。

 

 

 

 死んだんだ。

 これは本当に起こっているんだ。

 

 

  僕の心は激しく壊された。悲しいとか辛いとか悔しいとか寂しいとかいう型にはまった感情によるものではなく、幼い子が困惑した時に流す、そういう種類の涙が溢れてきた。

 

 

 

 僕達は、会えばいつだって小学生みたいに笑い合った。酒を飲むようになっても中学生みたいな下ネタを飛ばしあった。

 

 

 いつでもあの日に戻れた。

 

 

 でも、もうそうじゃないらしい。

 その日は訪れたのだ。あまりにも突然に。

 

 

 下ネタを言ったってニヤニヤ笑ってくれる君はもういない。

 イケメンで、運動神経が良くて、カッコツケで、そのくせシャイな君は、もういない。

 

 涙が頬を伝う。僕は唇を噛み締めた。雨は哀しみを流してなどくれない。僕達はずっと黙ったままだった。何も出来ず、何も話せず、ただ明日と明後日が晴れ渡るよう、静かに祈り続けた。

 

 

 

*****

 

 

夕刻、僕は君のお通夜に向かった。

昨夜の雨が嘘のように晴れていた。

 

 

会場は満席だった。たくさんの友人達が詰め掛けていた。係の人に式場が一杯で入れないと言われ、僕は少し笑った。

 

君はなんて言うだろう。

「時間ギリギリに来るからやぞ、何分待たせるねん」だろうか。「俺人気者やしな、すまんな」だろうか。

 

 

 いや、どれでもない。

 多分ニヤニヤ笑うだけだ。

 君はシャイだから、こんなに囲まれて恥ずかしがっているだろう。

 

 

 1階で待つように言われ、ロビーで待った。読経の声だけが響いてきた。ほどなくして係の人が焼香のために呼びに来た。

 

 ようやく会場に入ると、君のキメた写真が中央に飾られ、綺麗な花々で縁取られていた。

 

 僕はその遺影をあまり見ないようにして、長々と手を合わせ、焼香を済ませた。

 

 通夜が終わると、御親族が棺を開けてくれた。

 

 

 

 みんな棺の周りに集まった。棺は、君の好きだったV系バンドのグッズや、煙草や、想い出の品々でいっぱいになっていた。僕も棺のもとへ行こうとした。しかしどういうわけか足が前に出なかった。大きく息を吸い、それから時間をかけて吐いた。君の顔を見るには準備が必要だった。

 

 

 泣いてはいけない気がした。

 心を無にして、君に会おう。

 

 

 棺の周りで啜り泣く人々の間に入る。君の顔が見える。

 

 とても白く、そしてとても美しい。

 

しかし僕の知っている君ではなかった。いつもニヤニヤしていた君は、白い棺の中で静かに目を閉じて澄ましていた。僕は泣かなかった。

 

「こんなに集まってもらったねぇ、良かったねぇ」

 君の父親は腫れた目でそう君に語りかけていた。

「親バカかもしれんけど、こいつホンマに誇りの息子です、幸せ者の息子です、嬉しい嬉しいって言うてます、皆さんありがとうございます、触ってやってください」

 

 

 「髪の毛触ってやろうぜ」

幼馴染の一人が呟いた。

「絶対怒るやんあいつ」

 

僕は君が今にも「やめろって」と言いそうな気がしてならなかった。

 

 恐る恐る手を伸ばす。

 いつもニヤニヤと笑ってくれた、その白く美しい頰に、触れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不気味なほど冷たかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕は驚いて、すぐに手を引いた。

 そのまま2歩3歩後ずさりした。

 涙が溢れ出した。止まらなかった。

 

 

 まるで雪の中に忘れ去られた方解石のように、君は果てしなく透き通って、どこまでも冷たかった。

 

 

 いつも笑ってくれた君は、確かに目の前にいるけれど、もうこの世にはいないのだと、その時はっきりと悟った。

 

 

 本当に、本当に、行ってしまったのだ。

決して手の届かない、遠いところまで。

 

 

 僕達は、会えばいつだってあの頃のままだった。お互いを名前で呼び合い、オブラートに包むことなく言いたいことを言い合い、そして心の底から笑い合った。酒を飲み、バイトや仕事や試験の愚痴を言い合い、大声で歌を歌った。

下ネタで笑い合った。21歳の春まで。

 

 

 

 そんな君との日々は、もう永遠に訪れない。

 

 

 君は僕の入院のことを気にかけてくれたのに、僕は君の身体が弱い事を知らなかった。君は幼馴染の誰にも相談していなかった。やっぱり最後までカッコツケだった。

 

 

 

 

 サヨナラ。

 

 

 

 

 

 僕はもう一度君に触れた。

 明日から兵庫で入院するよ、移植してくるよ、生きて帰ってくるよ、と泣きながら心の中で呟いた。

 

 

君は今にも目を覚ましそうだった。

僕は、決してそんなことは起きないのだろうけど、それでも君が「大丈夫や」と言ってニヤニヤ笑ってくれる気がして、ずっと見つめ続けていた。

 

 

「大丈夫やぞ! しっかりしろ!」と言って欲しかった。「俺の分までお前は生きるんやぞ!」と叱って欲しかった。「泣くなんてみっともないぞ!」とニヤニヤ笑って欲しかった。

 

 

 

 

 

生きていて欲しかった。

 

 

 

 

 しかし、いつまで見つめても君は白く美しく、安らかに安らかに、気持ち良さそうに眠ったままだった。遺影だけがあの日のまま静かに微笑んでいた。

 

 

 そして君は今朝、僕の入院と同じくして、澄み渡る空のもと天高く昇って行ったのだった。病室から覗く五月晴れの中で君が笑っている気がして、僕はいつまでも空を眺めていた。