ヨシナシゴトの捌け口

独り言の欠片をひたすら拾う。繋ぎ合わせもしない。

病床のバリスタ

 

 涼しい夜風が比叡から降りてきて、センチメンタルな心のすぐ横をかすめていく。うだるような暑さはとうに消え去り、柔らかな月の光の中で秋の空気はただ凛としている。

 

 夏を生き延びたのだ、と思う。

 全てが終わったわけではないけれど。

 

 自販機にジャリ銭を突っ込んで、どれを買おうか十数秒ほど悩んだ挙句、結局温かいブラック缶を買う。まるでその手順を踏まなければ買えないかのように。お釣りをポケットに入れ、ゴトンと落ちてきた鉄の塊を握力の失われた両手で抱えるようにして開けると、仄かに黒い香りがする。

 

 

 人の嗜好は変わるものだ、とつくづく思う。苦さは苦であると思っていたのに、甘さを甘んじたものだと考えるようになってしまった。珈琲しかり、人生しかり。大人になる、というのはそういうことなのだろうか。

 

 

 とはいえ、苦ければいいかというと、それはちょっと違う。苦さの中に深い味わいがなければならない。じっくり煎る必要がある。そして、そういう美味しい珈琲にはなかなか巡り会えない。チェーン店のそれは総じて不味いし、喫茶店にも満足できるものが少ない。だからまだ缶珈琲の方が値段の割には美味しいと思っている。

 

 良いものを知ってしまうと、粗悪なもので満足することができなくなるのは世の常だ。きっと僕の場合もそうで、そのうえ多分それをもう二度と味わうことができないと知っているから忘れられないのだと思う。少しほろ苦く、それでいてどこか爽やかな、あの珈琲の味。

 

 

 僕が人生でいちばん美味しいと感じた珈琲と、そのバリスタの話を、ちょうど珈琲一杯分だけ、静まった公園のベンチに座って書こうと思う。秋の夜長にはちょっと苦いかもしれない、そんな病床のバリスタの話である。

 

 

*****

 

 「コーヒー、飲む?」

 

 朝になると、病室に芳ばしい香りが広がる。17年の春、僕は呼吸器外科に入院していて、彼と同じ病室で術後の日々を過ごしていた。4人部屋は基本的にカーテンで仕切られているのだが、彼はいつもカーテンを全開にしていた。理由を聞くと「篭る必要、ないじゃん」と明るく笑った。語弊を恐れずに言うと、ハゲのよく似合うエネルギッシュなオッチャンだった。髭がまたダンディだった。

 

グアテマラと、コスタリカが、あるんだけど、どっちがいい?」

 豆の入った茶色い紙袋を2つ持ちながら彼は言った。肺移植患者の彼は、喋る時に沢山息継ぎをしなければならなかった。

 

「どっちが美味しいんですか?」

「どっちも、美味しいよ」

 

 結局どちらを選んだかは思い出せないけれど、彼の手つきは鮮明に覚えている。豆を袋から取り出してコーヒーミルに入れ、慣れた様子で取手をゴリゴリと回して挽く。それからカップに手際良くコーヒーフィルターを広げ、挽きたての豆を敷き詰める。仕上げに熱湯をかける。

 

「この、蒸らしが、大切やからね」

 

 どうやら豆を蒸らす工程には、豆と湯を馴染ませる役割があるらしい。挽いた豆の間隙に空気が入ったままだと、美味しく抽出出来ないのだとか。その上蒸らしが長すぎると苦味が増すし、短すぎると酸味ばかりになるという。珈琲は奥が深いんだよ、と教えてもらう。

 

 蒸らした後は三回に分けてお湯を注ぐ。この頃にはもう病室いっぱいに珈琲の香りが漂っている。

 

「はい」

 

僕は手渡されたカップを鼻に近付ける。湯気に乗って、挽きたての豆の香りが優しく広がる。

 

「いやぁ、すみません。いただきます」

 

 朝日の注ぐ病室、ナースコールと看護師さんの足音、そして淹れたての珈琲。すっと広がる爽やかでしつこくない酸味と、キリッとして苦味にメリハリのあるコク。口の中に広がるものの後味はスッキリしていて舌には残らない。完璧な朝だ、と思った。

 

「美味しいでしょ?」

「すごく…美味しいです…」

 

 あの瞬間、あの香り、あの味。それらが強烈な記憶として僕の体の中に焼き付けられていて、忘れることが出来ないのだ。それから彼は毎朝珈琲を立ててくれた。苦しい闘病生活の、ほんの僅かな至福の時間だった。あの情景は、二度と再現されない。

 

 

*****

 

 

 出町柳のふたばで彼が大好きな豆餅を買い、その足で病院に向かう。師走のキリキリとした冷たい風が鼻をつく。2018年がまもなく終わろうとしていた。

 

 病室の部屋をノックすると、「どうぞ〜」と懐かしい声がする。

 お見舞いに行くのは何度目だろうか。本当は病院でないところで会いたいのに、彼はいつも病院にいたのだ。

 

 再移植待機。

 

 彼の肺は二度目の移植を必要としていた。14年のクリスマスイブに移植された肺は、4年間の拒絶反応によってボロボロになっていたのだ。少し起こしたベッドの上で、呼吸器と心電図モニターを付けられている彼は、何だか小さく見えた。

 

「あと、1年くらいね、粘らんと、あかん」

 

 苦しいのか、ときおり呼吸が乱れた。その度に彼は身体を前屈させるように折りたたんで、ふーっと息を吐いた。以前より口数は少なかった。

 

「しんどいしあんまり喋られへんけど、ちゃんと聞いてるから色々話してあげてね」

 奥さんはいつも彼に寄り添っていた。いい夫婦だなと何度も感じた。息子さんも可愛らしかった。

 

 「豆餅を買ってきたんですよ」

「ええ、それは、嬉しいなぁ、あり、がとう」

 

 彼は顔をほころばせた。くしゃっと笑う姿は息子さんと同じだった。

 

 移植の待機は過酷だ。おおよそ平均して3年は待たねばならないが、肺機能はその間にも低下の一途を辿る。耐えて、耐えて、とにかく順番が来るまで耐え忍ばなければならない。しかしながら、自分の番が回ってきた頃には手術に耐えうるほどの体力が残っていないなんてことはザラにある。ましてや二度目の移植ともなれば、大きなリスクが伴う。

 

 「待つの、本当に長いですよね、心が折れそうになりませんか?」

僕の質問に、彼は笑って答えた。

 「そりゃあ、しんどいよ、しんどいし、早く移植したいって、いうのは、誰かの死を、望んでるって、ことやからね」

僕は何も言えなかった。彼は続けた。

「でもまぁ、1回移植してる、わけで、その誰かの、命のおかげで、ここにいるし、そのことに、責任を感じる、というのではない、けれども、なんとか、なんとか、生きないと、いけないなぁって」

 

それから暫くして、年が明けた。新年のメッセージに、彼はこう綴っていた。

 

手術で人工呼吸器をつける話があったのですが、肺が全身麻酔に耐えられないなではないかと麻酔科からストップが入り、今の装備で移植まで待つことになりそうです

あと一年前後

粘るぞー

 

 

*****

 

 今年の3月、また彼に会いに行った。

 

 僕も二度目の移植をするかもしれない、と打ち明けた。この前の骨髄移植は上手くいかなかったのだ、と。

 

 ほとんど僕が話していた。彼はただじっと頷いて、ときおり呼吸を乱して苦しそうな表情を見せ、それから膝をかかえるようにして痛みを逃していた。それでも最後に「大丈夫だ」と言ってくれた。「ツイてるから、君は」と。

 根拠なんてどこにもなかったけれど、彼がそう言うなら大丈夫な気がした。

 

僕も彼も移植患者であることは同じだった。再移植待ちであることも共通項だった。ただ一点、僕の場合は「待つ」必要がなかった。骨髄は生きている人間から採取できるからだ。それに引き換え、彼はずっと待たなければならない。それも、誰かの死を。永遠にも思える苦しさに耐えながら。

 

 しかし、彼が最も強かったのは、それを決して吐露しないことだった。少なくとも僕の前では本当に強い患者であった。とにかく生きてやるんだという強い強い執念を感じた。

 

 「僕はね、自分のこと、可哀想だとは、思わないよ、むしろ、失ったものより、得たものの方が、多すぎて、自慢話に、なっちゃうからさ」

 

 

 

*****

 

 珈琲がなくなったのでそろそろ終わろうと思う。あまり長いと彼に最後まで読んでもらえない。ベンチを立って自販機の傍にあるゴミ箱に空き缶を投げ入れる。今日は月が綺麗だ。

 

 彼は、先日亡き人となった。

 移植は間に合わなかった。

 夏の終わりと共に、安らかに、彼は逝ってしまったのだ。

 

 またひとり、大事な大事な戦友を失ってしまった。

 

 

 残念だ。それでも、不思議と悲しくはない。きっと彼もそうだと思う。可哀想だなんて言葉、滅相も無い。太く短く生きた、それだけじゃないか。

 

 「君からは本当に多くのことを学んでるよ」とよく言ってくれたけど、おそらく僕が彼から学んだものの方が多いと思う。彼は本気で死に向き合っていたし、それでいて夫として、そして何より父として、最期まで己を貫いて生きていた。

 

 

「臓器移植を受けるべきか、本気で悩んでいた」と打ち明けられたことがある。人様の命をいただいてまで、自分に生きる価値があるのか、と。

 

「でもね、あのとき移植したから、今こうやって君と会えているわけで」

 

 長く生きることにどれほどの意味や価値があるのかどうか、僕には分からない。きっと、いつまでも分からないと思う。それでも、2014年のクリスマスイブに彼が肺移植をしたことで、2年前の春に僕と彼は出会い、そして一緒に珈琲を飲みながら、生きることと死ぬことについて語り合えたのだ。事実として。

 

 もう二度と味わうことのできない珈琲を思い出しながら、秋の虫の音が響き始めた公園を後にして、僕は家路につく。ポツリポツリと続く街灯に照らされては消え、また照らされては消えるように、彼との日々、その会話の断片が際限なく蘇ってくる。

 

 将来の話、音楽の話、移植の話、それから珈琲の話。

 

 少し苦い。それでも、深みがあって、後味はどこか爽やかでスッキリとしている。彼はそういう生き方をして、48歳でこの世を後にした。素敵な妻と、そっくりの息子と、それから一抹の珈琲の香りを残して。

 

そしてまた季節は巡る。

追いていかれぬよう、僕は少し足を早める。