ヨシナシゴトの捌け口

独り言の欠片をひたすら拾う。繋ぎ合わせもしない。

夏の日

 またあの夢を見た。田圃の畦道を落ちそうになりながら駆け回って遊ぶ、そんな夢だ。胸のすくような爽やかな青空の広がる盛夏だった。冴え冴えとした鮮緑の稲が陽射しを反射して眩しいほど輝いている。僕は誰かの背中を追いかけて走っていた。それなのに、気がつくと、いつの間にか誰もいなくなっていた。静まった田園に、ひとり、突っ立っていた。

 

 いつもここで終わってしまうのか、それともそこまでしか記憶がないのかは定かでない。

 

 毎日バカのひとつ覚えみたいに駆け回ったのなんて、もう10年も昔の話だ。あの頃は、毎日が飛ぶように過ぎた気がする。家を飛び出し、通学路を走って行って、朝から校庭で遊んだ。授業で寝るなんていう概念は欠片もなかった。給食を早食いして、一目散に外に駆け出した。放課後は学童クラブに行くなりランドセルを放り投げて校庭に出た。休みの日は、近くの神社で砂利を蹴散らしながら駆け回った。田んぼの脇を自転車でかすめて走った。夏休みが待ち遠しくて仕方なかった。

 

 夏休みは、非日常の楽園だった。遊ぼうと考える前に遊んでいた。宿題そっちのけで友達の家に向かったし、学校のプールが解放される日は欠かすことなく行ったし、神社の夏祭りの日は門限を過ぎるまで遊んで怒られた。景品欲しさから地域のラジオ体操にも毎朝参加した。週に2回ほど、近くで花火が上がった。ドンドンと音がし始めると、いつも家を飛び出して見に行った。暇ができれば自由研究に没頭した。暑い日は川で泳いだ。何もかもが、純粋な気持ちで楽しめた気がする。ココロもカラダも、疲れを感じている余裕すらなかった。

 

 あれから10年の月日が流れた。夏は、勉強と部活に追われるようになった。忙しかった。

 「忙しいは、"心(忄)を亡くす"と書く。」高校時代の恩師が言っていた。「だから極力使わない。」

 夏は、充実していたけれど、大切な何かを忘れているような、失っているような、心の中では少し物足りない気がしていた。10年という月日が、何もかも変えてしまったのかもしれない。自分自身も、この町も。あの夏、駆け回った家の周りの田畑は、どっぷりと土を入れられた後、どれもこれも同じ形をした、味気ない新興住宅地になってしまった。花火は、そんな建物の陰に隠れてしまい、輝きを失った音だけが聞こえてくるようになった。川の護岸は、のっぺりとしたコンクリートで整備されてしまった。夜道を仄かに照らしていた蛍が消えた。そういえば、外で遊ぶ小学生も皆目見かけなくなった気がする。少しずつ、あの夏が昔になろうとしていた。

 

 気がつくと、今年も夏が終わろうとしている。 ふと、6年前の夏休みの美術の課題で、田圃の絵を描いたのを思い出した。どこにあったかなと立ち止まって、作品を置いていた棚を漁ってみた。あった。絵の中の風景は、あの頃のまま、時を止めていた。水の音、風の匂い、そういったものが五感に蘇ってくる気がした。久しぶりにその場所に行ってみようと思い立って、家から自転車を15分ほど北に飛ばした。懐かしい風景が広がっていた。すぐ南側まで新しい宅地が迫ってきていたけれど、この場所はそのままだった。

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 でも、あの絵と何か少し違う気がした。雑草が刈られているとか、稲刈りが終わっているとか、そういう類の違和感ではなかった。多分、自分はこの風景を、淋しさにも似た郷愁の念を持ってしか見ることができない。それはそれでいいのかもしれないけれど、あの頃のように、純粋に眺められなくなってしまった気がした。

 夢の中で追っていたのは、もしかすると、もう決して手の届くことのない、あの頃の夏だったのかもしれない。

 

 今年の夏も、またそうやっていつの日か遠い日々となるのだろうか。今日の風景もなくなるのだろうか。今の自分も、大きく変わってしまうのだろうか。夢に見るようになるのだろうか。やけに孤愁に溺れさせられてしまう、今日はそんな夜更けなのかもしれない。少しずつ秋めく夜風が、音も立てずに吹いている。風に誘われてちゃらちゃらと簾が揺れている。窓辺に響く透き通った風鈴の音も、あの頃と変わらないような、でもどこか違うような、そんな感じがした。

 またいつか、あの夢を見そうな気がする。

 

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