ヨシナシゴトの捌け口

独り言の欠片をひたすら拾う。繋ぎ合わせもしない。

祖母と、受験と。

 病床に臥すと、やけに空が綺麗に見える。何もすることなく、ただベッドからぼーっと晴空を見上げる。今日は少し寒そうだ。あまりじっとしているのも暇なので、病院内のコンビニにでも行こうと思い立った。部屋を出て、真っ直ぐエレベーターへと向かう。廊下を歩くと、突き当たりに普通の病室とは見るからに異なる病棟があって、ターミナルケア(終末期医療)が行われている。何やら賑やかなのは、ハロウィンだからだろうか。シューマントロイメライが聞こえてくる。ホスピスのハロウィンはどこか寂しげな気がした。患者さん達にとっては、これが最後のハロウィンになるのかもしれない。車椅子のおばあさんが紙でできたキラキラの円錐の帽子を被っているのを見て、どうしてか祖母を思い出してしまった。あれから1年が経とうとしていた。

 

 昨年の晩秋、確かあれは心地よい小春日和だった。日中長袖を着るかどうか迷う、そんな何とも言えないほんわかとした日だった。柔らかな陽射しに誘われるようにして、祖母は静かに、安らかに、息を引き取った。末期癌だった。棺の中で、祖母は綺麗な顔をしていた。笑顔が絶えず、声が大きく、ちょっと太っていて、大の虎ファンで、味付けの濃い料理が大好きな、もう大阪のおばちゃんの権化とでも言わんばかりの人だった。しかしそのときばかりは、凛とした美しい顔をしていた。最初で、そして最後の顔だった。祖母の家に行くと、小さい頃からいつも決まって玄関先で抱きしめてくれた。あれはちょっと暑苦しかった。死化粧をされた頰を触ってみた。あのときの温もりは、もうそこにはなかった。酷なほど冷たかった。棺の中の祖母は痩せていて、何だか小さく見えた。ばあちゃんよく頑張ったね、とだけ言った。あとは言葉に詰まった。泣くのは堪えた。目を閉じると少し落ち着いた。

 

 亡くなった人を前に涙するのは、個人的にはあまり好きではない。別に悼む感情が欠如しているわけではないし、悲しいのは悲しい。でも何というか、通夜も葬式も告別式も、その人といられる最後の時間なんだから、最後くらい、ありがとうと笑顔で言いたい。

 

  "The highest tribute to the dead is not grief but gratitude." とは、いわゆる名言とされている米国の作家の言葉。"死者に対する最高の手向けは、悲しみではなく感謝である"。何故かは分からないけれども、これは理屈なしで正しい気がする。的を射ているというか、うまく言えない部分を的確に表現しているというか。

 

  極論を言うと、悲しんだら亡くなった人が往生できないような気もする。兎にも角にも、火葬炉の鋼鉄の扉が閉まるまでは、そのときまでは、極力笑顔でいようと心掛けた。少々不謹慎だったのかもしれないけれど、泣きながら感謝することは難しかった。

 

 いつかの入試問題だったかで、死に関する随筆があった。若い頃に目にする死は衝撃が大きい、しかし老いてからはそうもいかない。毎度毎度死を悼んでいては心が持たない。死を温かく見守るのだ、と。それでいいんじゃないかと思う。少なくとも自分の場合は参列者が笑顔でいてくれた方がいい。悲しまれたら、それこそ文字通り立ち往生するかもしれない。堪えきれない涙は致し方ないが。"亡くなってしまって悲しい" よりは "今までありがとう" のほうが美しい。

 

 喪主は親父だった。生前の思い出のビデオの後、最後の挨拶をするとき、親父は泣いていた。泣くのを見たのは祖父を亡くしたあのときだけだった。これはまずかった。そうか、もう親はいなくなってしまったのか。こらえようとしたものの、少しだけ涙が頰を伝って落ちてしまった。

 

 その2週間ほど前、余命宣告を受けた祖母とターミナルケアの病棟で最期に交わした約束があった。僕は絶対に京大に行くと誓った。受験を気にかけてくれていたから。モルヒネを打たれて祖母は少し夢うつつだったが、それでも、もう骨と皮だけになった両手で僕の右手を優しく包んでくれた。確かな血の温もりを感じた。そこから数ヶ月は気が狂ったように勉強した。それが、本当に最期の約束になってしまったから、それしか約束できなかったから、やるしかなかった。

 

 そうして長い長い冬を乗り越え、春を迎えた。高校を卒業した。

 

 

 そしていま僕は、高3の春には半ば諦めかけていた京大にいる。当たり前のような日々は、やはり、あのとき祖母がいたからこそ実現したのかもしれない。心から感謝しなければ。それが最高の手向けになるのであれば尚更。退院したら、お墓に手を合わせに行こう。ついでに運転免許証も見せてあげよう。

 

 コンビニから戻ってくると、トロイメライはもう終わっていた。先ほどのおばあさんは犬と戯れている。命の灯火が消えようとしているその最期の時を、彼女もまた精一杯生きているのだ。そんな状況下で、それでもなお人に力を与えられる。そんな祖母を僕はいつまでも誇りに思う。いい人だった。そして僕の記憶の中では今なお力強く生き続けている。

 

 病室が5階の555号室なの、ばあちゃんのせいかもね。じいちゃんが55-55のセルシオ乗ってたから。違うかな。まぁいいや。

 

 ばあちゃん、ありがとう。そしてこれからもよろしく頼みます。まだまだ生きねば。長い長い冬が、今年もやってくる。病室の窓から、1羽の鷹が大きく弧を描いているのが見えた。冬支度だろうか。晩秋の空は天高く、そして今にも吸い込まれそうなほどに澄み切っていた。