ヨシナシゴトの捌け口

独り言の欠片をひたすら拾う。繋ぎ合わせもしない。

デイ・ゼロ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 21歳の誕生日プレゼントは、命だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギフト、と呼ぶ方が正しいかもしれない。特別な、そして特殊な贈り物だ。値札や包装はない。無論どんな店に並ぶこともない。

 

 

 プライスレスな「赤いギフト」。

 

 

 

僕はギフトの贈り主を知らない。知ることは出来ない。顔も、名前も、生い立ちも。手紙を2回書くことのみ許されている。それだけだ。

 

 

 ところが性格は知っている。当てずっぽうではない。どうしても分かってしまうのだ。ドナーの貴方は長期間、何度も何度も面談を行い、検査し、貯血する。そうして骨髄採取のため入院する。

 

 貴方だって、僕の顔も名も知らない。しかしそんな赤の他人のために、無償で数ヶ月献身することを微塵も厭わない。

 

 

 

 

 名も知らぬ命の恩人は、そんな慈悲深い人だ。

 

 

 

 

 

 

 

 僕は今日、貴方のお陰で21度目の誕生日を迎えることが出来る。死んでいたはずの人間が、さも当たり前のような顔をして、明日も笑って生きることが出来る。こうして想いを綴ることが出来る。

 

 

 

 

 

 

この世界は、きっと厳しさと同じくらい、優しさに溢れているのだ。

僕の想像を遥かに超えて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕刻前、病室にギフトが到着した。

 

 向かいの病棟の窓が茜色に輝いているのを見て、僕は陽が傾き始めたことを知る。病室の頑丈な窓枠もほんのりと染まり、二重窓の間に影を落としていた。

 

 いよいよ始まるのだ、と思う。その前に一呼吸、お疲れ様、とでも言うべきか。

 

 

 そう、とても苦しい道のりだった。

 

 

 異変に気付いたのは5月だった。気怠い感覚が、へばりつくような暑さと共に全身を纏っていた。しばしば眼は赤く滾った。異常な発汗は、今思えば死の前兆だった。

 

 6月に入ると、矢のような雨が降り注いだ。身を屈めて避けながら、体調不良を低気圧のせいにして生きた。このとき既に僕の血は、老い先長い者のそれではなかった。内臓や脳から出血が始まっていた。

 

 

 そうして6月の最終週、いよいよ僕は死んだように生きていた。6月25日、口腔から出血が始まり、真冬並みの悪寒に震えた。6月26日、自分で取った学食を半分以上残した。降りしきる雨は吹雪に変わっていた。6月27日、実験中に意識が飛びそうになった。誰も助けてくれなかった。自転車で帰りながら何度も倒れた。夜、友人の訃報が届いた。次は自分だと思った。

 

 

 

 限界だった。

 肉体も、精神も。

 この恐怖が続くのなら、死んだ方がマシだと、本気で思った。

 

 

 

 

 

 

 

翌6月28日、緊急入院。

病名、急性白血病

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「それでは開始します。」

 

 医師の合図と共に、輸液ポンプが動き出す。教授、主治医、担当医、看護師、医学生ら、そして両親。その視線が一点に集中する。

 

 

 バッグに詰まった血液が長いチューブを伝い、腕の中へ注ぐ。ギフトが、身体の一部になる。この光景すらも、懐かしく笑える日が来るのだろうか。脳裏に焼き付けようと、僕は一度目を閉じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 デイ・ゼロ。

 僕がこの日を忘れることはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新たなスタートラインに立つ。そんなに立派な線ではない。靴の踵で土のグラウンドに引いた、自分にしか分からないぐにゃぐにゃのスタートラインだ。スターティングブロックも、号砲もない。

 

 

 それでも僕は静かに一歩を踏み出し、線を跨ぐ。乾きかけた土を全身の重みで踏みしめる。雨は止んだ。空は青い。一滴、また一滴と注がれる真紅の血液に、僅かながら温もりを感じる。

 

 

 

 

 

 少し視線を外す。病室の窓に映る空を見上げると、溜息が出るほど透き通っていた。もう冬が近い。めくるめく季節は僕をあの日に置き去りにして、素知らぬ顔で通り過ぎて行ったのだ、と思う。僕とは関係のないところで梅雨は明け、夏を謳歌して蝉は死に、山々は間もなく色づき始める。

 

 

 

 

 一日の殆どの時間を、ただひたすらベッドの上で過ごしている。僕は今どうしてこんな所に居るのかと問いたところで、白い天井が答えてくれる訳もない。無菌ユニットだけが頭上で低く唸る。

 

 

 

 

 誰も責めることの出来ぬ理不尽を、人はおおよそ運命などと呼んで簡単に片付けてしまうのだ。本当にそれが正しいことなのか、今の僕には分からない。

 

 

 

 あらゆる運命の、巡り合わせ。その良しも悪しも含めた全てを、古くは「仕合わせ」と呼んだ。

 

 ところが僕達は、その良しだけを取って「幸せ」を叫ぶようになった。残りは箱の中に押し込んで「不幸」を貼ってしまう。

 

 

 

 

 どうだろうか。

 僕はいま幸せなのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 新たな命を背負う、その重圧にさえ時折押し潰されそうになる。事実、もう家族とも親戚とも血は繋がっていないのだ。一人になってしまったのかもしれない。

 

 

 

 仕合わせ全てを幸せだと受け入れるには、僕の心は幼い。本当は、物事の多くを箱に仕舞い込んでしまいたい。「不幸」を貼りたい。鍵を掛けたい。

 

 

 そうすることが出来るのなら、僕はどれほど楽になれるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなに上手くは行かないのだ。

 人生は、引き返せない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それでも僕は僕なりに、無菌室で21度目の誕生日を迎えられたことを、運命と呼んでみた。この理不尽な仕合わせを、今日ばかりは幸せだと受け入れることにしてみた。

 

 

 

 

 

 

 

 幸せなんだと思う。多分。

 今日の日を、両親は21年前より喜んでいた。

 そういうことなんだ、きっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人生でいちばん祝われた誕生日かもしれない。

 

 どうして、どうして不幸なわけがあるのだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

午後9時40分。

終了を告げるアラートが鳴る。

最後の一滴を見届けて、僕は大きく深呼吸した。

 

 

あの日のまま止まっていた時間が、静かに動き出した。

心臓は拍動を続ける。

 

 

 

 ありがとう。

 ドナーになってくれた貴方と、21年前の今日産んでくれた両親と、それから僕を応援してくれる全ての人達へ。あらゆる仕合わせが複雑に絡み合い、僕は今こうして生きている。

 

 

 

 

 

 もちろん泣きたい日もあるし、笑いたい日だってある。どちらも仕合わせで、その多くを幸せと呼べたらいい。今年はそういう一年でありたい。

 

 

 

 そうしてまた、誕生日が来るのを待とう。

 来年も、再来年も、その翌年も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 デイ・ゼロ。

 僕はまだ、生きている。