僕達は皆、「その日」に向かって生きている。
どんな生き方をしたって、どんなに幸福であったって、「その日」はやがて訪れる。いつでも、誰にでも。終わりと、別れの日。
もう何をしたって、どんなに叫んだって、届かない場所へと旅立つ日。
関東ではもう梅雨明けしたらしく、病室の外には濃い夏空が覗いている。雲は白く膨らんで大きく丸みを帯び、木立に降り注ぐ日差しが黒い影を落としている。もう蝉は鳴いているのだろうか、この白い部屋の中では、外の音は聞こえそうもない。
木立を抜ける風の音と蝉の声を、静かに目を閉じて想像してみる。眩しい夏の思い出が、いくつも蘇ってくる。小学生の頃、朝からラジオ体操に行き、学校のプールではしゃいだ。中高生の頃は部活に明け暮れた。受験期の夏期講習はしんどかった。友達と花火を観に行った。自動車の免許を取ったのも暑い日だった。そして時々、恋もした。
夏は毎年やってきて、汗を垂らすたびに楽しさと悔しさを味わってきた。そんな夏が、少し形を変えてしまったが、今年もやってきたらしい。とにかく、今日は良い日だ。文句の付けようがない。
僕にとって、近いうちに訪れるかもしれない「その日」は、出来ることなら、こんな透き通った日の、朝がいい。「その日」を選ぶことが出来ず、突然に訪れたとしても、陽射しの中で、静かに旅立ちたい。それぐらい、たったそれぐらい、神様は許してくれたっていいと思う。
平成最後の夏、僕はクラス1000規格のクリーンルームで過ごすことになった。どうやら運命には抗えないらしい。残念だな、と思う。少し、残念だ。でも同時に、良かったな、とも思う。この病気が、自分の大切な家族や、友人や、先輩や後輩や恩師の命ではなく、自分に降りかかって、それはそれで良かった。大切な人の、大好きな人達の、その命ではなくて、自分の命で、良かった。
6月28日。定期検診に行き、血だらけの歯茎を見せると、主治医は蒼ざめた。すぐさま血液内科に通された。
「血小板が3,000、LDHが13,000。今外出すると命の危険がある。即入院です。今日は親御さんは一緒に来られてませんか。」
血液内科医も驚く数値だった。彼は病名には触れず、眉間に皺を寄せて電子カルテを見つめていた。ただ、ある程度知識がついてしまった僕は、もうこの時点で悟らざるをえなかった。
白血病だ。
背負わねばならぬ現実が重すぎるとき、そしてそれが予期せぬ状況で降ってきたとき、人は涙さえ流せないのだ、と知る。
診察室を出て、力無くロビーのソファーに座り込んだ。もう一歩も動けなかった。ただそんな僕の目の前を、いつもと何ら変わらぬ病院の日常が過ぎていくだけだった。案内放送が流れ、医師達は足早に歩き、清掃員は床を拭き、老夫婦がゆっくりと前を横切っていった。一人の人間が白血病になったことなど、誰も気付くはずがなかった。
僕は戻りたかった。戻りたい、そう強く思った。何も知らず、病院に向かっていた朝の自分に。命の終わることを知らぬ一人の人間に。
母親に電話をかけ、すぐに病院へ来て欲しいと言った。
何があったの、どうしたの、母親はそう色々聞いてきたと思う。僕はそれに何も答えられなかった。
言葉が出なかった。
もうな、
アカンわ、
それだけ絞り出して、電話を切った。
肩が小刻みに震えだした。この時、その背負わねばならぬ現実に、僕の理解がようやく追いついた。
現実は、真夏の昼下がりのゲリラ豪雨のように、局所的に、僕の真上だけに、降り注いだ。
僕はふらつきながら、とにかく逃げた。
トイレの入り口まで来て、もがいて、崩れた。
壁を叩いた。
何度も叩いた。
必死に嗚咽を堪えた。
洗面台に両手をつき、筋を引くように涙を零した。
鏡の中に、白血病の僕がいた。
あれから4日が経った。僕はこの4日を、人生で最も混乱した4日間として過ごした。この世の孤独を洗いざらい集めたような夜を、痛みと闘いながら必死に耐え抜いた。時折、強烈な眩暈と吐き気に襲われた。動悸がして、視界は螺旋を描いた。それは、未だかつて感覚したことのない、死の形象だった。自分の身体がどれほど腫瘍に蝕まれているのか、それを有り有りと示すものだった。
これはもう、本当に死ぬんだ。
そう思った。
「その日」を迎える覚悟を、しよう。
そうした方が、良いような気がした。
それが、僕の4日間の答えであり、準備であり、そして決意だった。
「その日」まで、沢山の人に会おう。
「その日」まで、沢山笑おう。
「その日」まで、沢山食べよう。
「その日」まで、想いを言葉にして伝えよう。
「その日」まで、生きよう。
とっくの昔に癌で死んでいたはずの人間が、神様にお願いして、1年だけ猶予をもらった。そして僕はこの1年間、会える人には必ず会うように心掛けてきた。それから何より、家族で過ごす時間を大切にしてきた。延長された生であることを、ちゃんと意識して過ごしてきた。
だから、未練はあれど、後悔はない。
たったの4日間で作った覚悟かもしれないけれど、決してハリボテの覚悟ではない。
ある20歳の人間の、強い覚悟だ。
「ひょっとしたら奇跡的に治るかもしれない、治らなくても、あと五年とか十年とか生きられるかもしれない。信じてるよ、いまでも心のどこかで。でも、それを信じてるんだってことを思い出すとキツいのよね、なんか。忘れたふりして、その日をちゃんと迎えなきゃって考えて、いろんな準備したり、覚悟を決めたりしてるほうが、じつは楽なの、精神的に、ずうっと。」
それでも、欲を言うなら、あと少しだけ、ほんの少しだけ、生きてみたい。
ダメだろうか、やっぱり。
それは欲張りだろうか。
結局そんな心配無駄だったよね、って笑い合う瞬間が、どれほど幸せに満ちていることだろう。お前死ぬ覚悟出来てるとか言ってたやん、カッコつけやがって、と馬鹿にされることを、僕はどれほど望んでいるだろう。
どうか、これがただの夕立であってはくれないか。
意外と強く降るくせにすぐ上がって、初夏の茜空にうっすら虹をかけるような、そんな夕立であってはくれないのか。
神様、もう許してください。
やがて訪れる「その日」の前に、一体何が出来るだろう。
この白いクリーンルームの中で、果たしてどんな理想が描けるのだろう。
いや、別に何もなくてもいいじゃないか。
そんなに難しいこと、考えたって仕方ない。硬いベッドに横たわりながら、僕はゆっくり目を閉じる。
まもなく、深い眠りが夏の向こうからやってきた。それは白く透き通っていた、あの頃の夏だった。「その日」の「その瞬間」も、こうして静かに迎えられたら、どれだけ幸せだろう。
意識が過去に向かって流れていき、蝕まれた身体の痛みをひとつずつ消していく。深い記憶の底には、まだ微かな望みがうっすら滲んでいる。やがてそのまま、ブラウン管テレビの電源を落とすように、僕の意識は奥へ奥へと吸い込まれていった。
後には、夏空に甲高く響く蝉の声と、木立を抜ける爽やかな風の音だけが、余韻のように、心の内側でいつまでも響いていた。