銀河鉄道の朝
初めて新幹線に乗った日を、今でも鮮明に覚えている。3歳の僕にとって新幹線は「夢の超特急」で、本当にどこまでも行けるんだと思った。東京駅で写真を撮っていると車掌さんが来て、非売品の定規をくれた。今でも机の引き出しの一番手前に入っている。あれから暫く、将来の夢は「電車の運転士」だった。
誰にだって、大きな声で「夢」について話せた時期があったはずだ。それは野球選手だったかもしれないし、ケーキ屋さんだったかもしれない。僕達はまだ子供で、堂々とした夢を抱いていた。そうやって好きなことだけをして生きていけると思っていた。
現実を知ったのは、いつからだろう。
線路はどこまでも真っ直ぐに続くものではなかった。それは単なる幻想で、現実世界には容易く走れる線路など殆ど無かった。世界はどこまでも理不尽で、僕はそんな世界に背中を向けるようにして、夢の切符を破いた。どこかに捨ててきた。
生きること、ただそれだけのことが、これほど難しいなんて。
始発駅も終着駅も、人それぞれ違う。友人と楽しそうにボックス席で話し込む乗客もいれば、ただ一人でひたすら立ち続けるだけの乗客もいる。電車の速度だけが平等だ。人生なんて、そんなもんだと思う。
列車は定刻通りに駅に着く。扉が開き、そして閉まる。また動き出す。実に単調な繰り返しだ、と思う。その単調な繰り返しでさえ、あの頃は楽しめたというのに。
モノトーンのリズムに揺られながら、僕達は本当の幸せの意味を探そうと躍起になっている。
同じ毎日の繰り返しの中に、本当の自分を見つけようとしている。何かを築こうとして這いつくばっている。
でも幸せなんて築くものじゃない、気付くものだ。どれだけ単調な繰り返しだとしても、ただ立っているだけだとしても、電車は前へ前へと進んでいるのだから。時が滞りなく前へと進むように。
誰もが それぞれの 切符を買ってきたのだろう
今までの物語を 鞄に詰めてきたのだろう
荷物の置き場所を 必死で守ってきたのだろう
これからの物語を 夢に見てきたのだろう
BUMP OF CHICKEN ー 「銀河鉄道」
病院の地下のローソンで、小中時代の友人がバイトをしていた。以前入院していた頃、僕は、彼の姿を見つけては彼のレジに並んだ。本当にいい奴だった。6月27日、訃報が届いた。僕は激しく混乱して家を飛び出した。車に乗って、そのまま朝まで帰らなかった。翌日、白血病になった。訳も分からず入院した。
恐る恐る地下に降りてみた。
レジに、彼の姿はもうなかった。
彼の四十九日が盆と重なった。うまく帰れるだろうか、と少し心配になる。故人は盆に精霊馬に乗ってこの世とあの世を行き来すると言われている。でも彼がキュウリとかナスに乗ってる姿を想像して、少し可笑しくなる。そういう奴じゃないんだ、彼は。
小学生時代、宮沢賢治を読んで、亡くなった人は銀河鉄道に乗るんだと強く思っていた時期があった。今でも三途の河をイメージするとき、僕は天の川のことを考える。
根拠はないけれど、きっと彼も、銀河鉄道に乗って帰っていくと思う。切符を握りしめて。
「何が幸せか分からないです。本当にどんな辛いことでも、それが正しい道を進む中でのできごとなら、峠の上りも下りもみんな本当の幸福に近づく一足ずつですから。」
「銀河鉄道の夜」の本質を貫くのは、「幸せとは何たるか」だ。一体、この世界の中で、何が幸せなのか。本当にどんなに辛いことであっても、それが確かに正しいことであるのなら、実は幸福への切符を握っているということなんだ、と宮沢賢治は説く。
それは子供の頃に描いたような夢の切符ではないかもしれないけれど、遠回りの線路かもしれないけれど、それでも確かに幸福行きの切符なんだと思う。
現実の鉄道は、夢の鉄道よりも厳しい勾配を駆け抜ける。ただ、それが車窓を豊かにするのかもしれない。
「さあ、切符をしっかり持っておいで、お前はもう夢の鉄道の中でなしに本当の世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐ歩いて行かなければいけない。天の川の中でたった一つの本当のその切符を決してお前はなくしてはいけない。」
病院から五山の送り火を眺める。京都の街は、いつもより少し暗い。雲の切れ間から、僅かながら星が覗いていた。この空のどこかに、彼の乗る銀河鉄道が走っているはずだ。幸福行きの銀河鉄道は、明日の朝には、サウザンクロスに着くだろう。
最後に送ったLINEは1月だった。会ったのも1月だった。もう既読もつかないし、もう会えない。どうして彼は死ななければならなかったのだろう。どうして僕はまだ、こうして生きているのだろう。
夢への切符は捨ててしまったけれど、幸福への切符はまだ握っている。僕は、幸福とは何たるかをちゃんと知っている。彼もきっと知っていたと思う。それでいい。
本当に辛いことを経験した人間にしか分からない、そんな幸福だってあるんだ。そしてそれが本当の幸福なんだ。だからどんなに辛いことであっても、それは幸福への途中駅なんだ。そこで降りようとしてはいけない。ひたすら切符を握りしめて乗り続けるんだ。
僕が銀河鉄道に乗る日まで、彼はきっとサウザンクロスから見守っていてくれることだろう。朝日の昇る、サウザンクロスで。
何となく、長い汽笛が聞こえた気がした。
サヨナラ。
人は年を取る度 始まりから離れていく
動いていないように思えていた 僕だって進んでいるBUMP OF CHICKEN ー 「銀河鉄道」